建礼門院御庵室跡

文治元年(1185)長門壇ノ浦の合戦で平家が敗れたあと、建礼門院はひとり助けられて京都に連れ戻され、その年の9月、都を遠く離れた洛北の地大原寂光院に閑居した。
本堂の北奥に女院が隠棲していたと伝えられている庵跡がある。
翌2年の春、女院のもとを訪れた後白河法皇がご覧になった御庵室の様子は、「軒には蔦槿(つたあさがお)這ひかかり、信夫まじりの忘草」「後ろは山、前は野辺」という有様で、「来る人まれなる所」であった。
女院は夫高倉天皇とわが子安徳天皇および平家一門の菩提を弔う余生を送りつつ、建久2年(1191)2月中旬この地でその生涯を閉じた。
御庵室跡の右手奥に、門院が使用したという井戸が残る。